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2016年12月21日 (水)

12月19日

昨18日の南日本新聞一面の「ブーゲンビル島民が鹿県出身兵ら殺害…」の見出しを見て驚きました‼ 神戸高商(現神戸大学)でラグビー選手だった私の叔父はブーゲンビル島へ派遣され1944年春にタロキナ岬で米軍の攻撃で戦死しましたが、それまでの島民との親しい交流をスケッチしたはがき大の冊子が遺品として祖母の許に届きました。私はクリント・イーストウッド監督の硫黄島からの手紙を観た後HPで週替わりに一枚づつ絵をアップしましたが、もう10年にもなるんですね。 http://www.synapse.ne.jp/paintboy/masayuki.htm

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コメント
Reiko Tsutsumi 何だか、記事とイメージが違いますね。時期が違うのか。地域が違うのかしら。
川崎 眞俊 過去帳では「昭和十九年三月二十三日タロキナ岬の決戦で戦死」と記載されています。新聞によるとその後の8月に事件は起きてますから島民との関係が急変したのでしょうか?
Reiko Tsutsumi スケッチの絵では、相手に向き合う温かい視線を、感じます。
川崎 眞俊
川崎 眞俊 スケッチの日付には18.5.3始め5月、7月、8月が確認出来ます。Wikiに依ると米軍の上陸はその年の11月1日なのでそれまで暫し穏やかな日本軍の占領時期だったんでしょうか。
堂園 文子 堂園壮意も、現地の方々との交流を残しています。
川崎 眞俊 先代の院長先生ですか?叔父は1920年生まれかと思いますが…無事に生還されたんですね。叔父のスケッチ帳も生還されたどなたかが届けて下さったのでしょう。
堂園 文子 はいそうです。軍医でしたが医薬品無く、薬草を栽培したとか。
堂園 文子 明治45年生まれです

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