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胸ポケットにタクシーチケットはありましたが 、慎ましやかな相談役はイオンモールで二個で1000円の珍味を買って21:30発のバスに乗りました。30分後に中央駅に着くといつもの反対側の夜景も中々のものでした‼
私が36年前の忘年会シーズンに「走ったら飲め!飲んだら走れ!」をモットーに走り始めた38才の頃から雑誌「ランナーズ」を愛読していた。その頃はニキビ一杯の高校生増田明美が誌面を飾っていた。編集長の下条由紀子さんが走り好きが嵩じて始めた雑誌は今やこんなに発展した。「鹿児島走ろう会」の副会長をしていた頃来鹿された彼女と与次郎長水路を朝ランしたことがあったが、気さくで魅力的な女性だった。掲載した写真は5日の日経全面広告で、遂にここまで!増田さんも朝ドラの異色のナレーターで頑張ってるし、嗚呼感無量の今や走れない私😅
NAGAYA TOWER 入居5年目にして、玄関の収納スペースを片付けたら探していたモノが二つ見付かった😂今こそ読むべし「大往生」と、毎年梅雨時期の歌と踊りに必要な表参道で手に入れたお気に入りの「ジーン・ケリー洋傘」🎵
残念ながら今日は飲む理由が見つからずやっとNADに"(-""-)"
母も私を抱けなかった。抱いて貰えなかった😅
ビデオテープにあった1973年の映画「青幻記 遠い日の母は美しく」。沖永良部出身の一色次郎原作。懐かしい鹿児島の風景と余りに悲しい島での結末。田村高広演ずる主人公の少年時代と私の母と同じく若くして同じ結核で亡くなった美しい母(賀来敦子)とのやり取りがやるせない😂
若い自分に京大出身の学者風年輩のブロック工事屋さんと知り合い、ローゼンシュタインと言うドイツ由来の異形舗石の塗装のお手伝いをした。自宅にお招きして飲んだりもした。開発事業団の指名で市内で幾つかの仕事のしたがこの祇園之洲橋歩道のエロー塗装もやりました‼
旧東開貯木場。嘗ては東南アジアから輸入したラワン丸太が浮かんでいました。カヌーを始めた頃は出社前に浮かんでサンドイッチを食べてました🍴
今日3月26日は母の祥月命日です。鹿大農学部他鴨池地区で「九州ステートフェア」が始まり、「一緒に見に行こうね」との言葉を残して翌朝享年32才で亡くなりました。死の意味を良く分からぬ7才の私より、どれだけ母の方が辛かったかと思うと今更不憫でなりません😣
詳しくは言えないのですが、21年度前にカヌーを始め、19年前にその河川漕体験をネタに鹿児島高専が事務局の「鹿児島県河川水辺ネットワーク」に唯一人民間から参加し、そこで親しくなった某先生(故人)とのご縁で未だに…